八月の初めに、「徳島県立障害者交流ぷらざ視聴覚障害者支援センター」と言う
長い名称を持った施設の所長さんから、講演の依頼があった。
そんな依頼が年にいくつかはあるのだが、最近は全て断ることにしてきた。
だから、私は90歳を過ぎてから、ほとんど遠出をしていない。
行き先でいつ体に異変が起こっても、すぐタクシーで帰宅出来る範囲しか出かけないことにしていたからだ。
しかし、旅が嫌いなのではない。
80歳頃までは、国内はもとより、海外にもよく出かけたものであった。
だから、出かけるのが嫌なのではない。
講演もまた、むしろ好きだと言っていいかもしれない。
しかも徳島県は、私の出身地である。
電話で講演の依頼を受けた時、心が動いたのだが、
ここ数年間の方針もあったので、暫く考えさせていただくことにした。
そして、考えた結果、御受けすることにしたのである。
申し訳ないことだが、講演を御受けする裏には、故郷を訪ねてみたいと言う思いも、かなり強くあったことは事実である。
講演は11月7日の午後1時から3時までである。
講演内容も「点字の歴史と変遷・・・これからの点訳ボランティアニ求めるもの・・・」」と指定してくださっている。
普段私が研究したり、考えたりしていたことを御話すればよさそうなのである。
羽田から徳島までやく1時間、11月7日の午前の比較的早い便で、故郷の地を踏む喜びを覚えながら、
私は久々のフライトを楽しんでいることと思う。
そして、講演後には、故郷に向かう車中の人となっているはずである。
幼い日を過ごした懐かしい村は今も健在である。
しかし、そこには他家に嫁いだ妹が二人いるだけで、父母もいないし、知人もいなくなって、
私はもう、ここ15・6年も訪ねてはいない。
しかし、森には木の葉が風にそよいでいるだろうし、小川のせせらぎも清らかな音を立てているはずである。
だが、11月も七日となれば秋ももう暮れである。
村は健在と言っても秋の暮れの道に人影はあるのだろうか。
父母の墓参を済ませて道に出た時、言葉を交わす村人はいるのだろうか。
ふと芭蕉の句が思い出される。
     この道や行く人無しに秋の暮れ
秋の夕べ、誰も行く人のいない寂しい道を、一人歩んで行くと言うほどの意味であろうか。
これが旅人の真の姿だと芭蕉は言いたいのであろうか。
私のばあいも、かりに言葉を交わす村人はいなくても、旅人に成り切ればいいのである。
それでも、幼い日に親しんだ、小川のせせらぎは、今も変わらぬささやきをもって、私を慰めてくれるだろうし、
裏山から吹き下ろす松風も私に昔を偲ばせてくれるに違いない。
長い歳月を隔てて、故郷を訪ね、かりに迎えてくれる人はいなくても、旅人になり切って、
故郷の山にも、川にも親しんできたいと考えているのである。
9月27日(火)

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