ながーいトンネルをそろそろ終わりにしませんか!

教育の欠格条項をなくし、

分け隔てられることのない学校教育を原則に!!

教育の欠格条項をなくす会準備会

1 はじめに

日本の教育は一貫して、障害のあることにより学ぶ場を分け続けてきました。原則分離にしがみつく文部科学省は、その学校教育法施行令第22条の3で「心身の故障の程度」により「盲学校、ろう学校又は養護学校に就学させるべき」者を規定しています。本人や保護者の意思に関わらず、お役所が一方的に障害の種別や程度によって、「あなたは養護学校へ通うべき子」=「小・中学校にいるべきでない子」という判定をし、子ども達を振り分けています。

脱施設や施設解体が一面トップで報道される昨今、国や自治体が種別・程度により、「あなたは地域で暮らしてもよい人」「あなたは入所施設で暮らすべき人」などという判定をしたとしたら、大きな人権問題になることは誰にでもわかることです。しかしそんなとんでもないことが教育の場では延々と行われて来ていることを、どれだけの方がご存じでしょうか。


2 分けることを前提にしたノーマライゼーション

この国の障害者福祉は子どもの問題を素通りした上で、盲・ろう・養護学校卒業後の問題として様々な障害者施策がスタートします。しかし子ども時代を分けられて育った人々が大人になってから「共に生きよう」と言われても、そんな簡単なことではありません。親と教員だけの限られた人間関係で生きてきた人々が、多様な人間関係を引きずりながら介助を伴う生活をしていくことの困難さは言葉では言い表せません。また24時間ホームヘルパー保障の要求は、財政的な課題として現在大きな問題になっていますが、逆に言うと全面的に職業的ヘルパーに依拠せざるを得ないのは、介助したりされたりという関わりがまったく社会化していないことの裏返しでもあるのではないでしょうか。学校の同級生や職場の同僚、地域の隣人など、それぞれがつきあいの中で支え合う関係が無いことこそが問われなければなりません。

物理的なバリアが解消されたり、福祉サービスが充実してきたとしても、本人やまわりの人々の意識など「心のバリアフリー」は一朝一夕にはどうにもなりません。障害者運動の中でも、通常多くの人々が所属している学校と職場の問題にはなかなか手が付かず、福祉サービスの拡充が運動の中心軸になりがちです。しかし社会参加型介護と言われている移動介護が通勤通学に使えなかったり、障害者の社会参加が余暇活動としてのみ捉えられていることを私たちはどう理解したらよいのでしょうか。結局「障害者問題は福祉施策で」という枠がはめられ、盲・ろう・養護学校から通所施設、そして入所施設へという、一般とは分けられた特別のレールが太くなり、分けられた上体を前提に交流や社会参加が取り組まれているのが実態です。もちろん現在盲・ろう・養護学校や施設にいる人々にとっては、それはそれで必要な取り組みなのですが、大変な労力を必要とするわりには、成果があがらないのも事実です。大切なのは、分けられたものをあらためて、一緒にすることよりも、分けない生活の中で共に育つ経験を積み上げていくことです。そのような教育のノーマライゼーションなくして、社会のノーマライゼーションは進みません。共に育つことなくして共に生きられる社会はありえないのです。

3 教育の欠格条項

1979年の養護学校義務化反対闘争以来、当事者のかかわりは後退し、就学問題は一部の親と教員の運動になりつつあります。そしていつの間にか就学先の選択の問題にすり替えられてきました。たとえば「通常学級がいいとか、養護学校がいい」とか「手話文化を守るためにろう学校が必要」とか、「介助員がついた方がいいとか、つかない方がいい」とか、そういった目先の論議に振り回され、社会として、学校として、障害のある子を正面から受け止めてほしいという、運動の中心軸がぼやけたまま、大きな動きを作り出せないできました。

一昨年、学校教育法施行令が改定されましたが、例外規定として「認定就学者」が位置付けられたとはいえ、「施行令22条の3」該当の障害のある子どもたちについては、「盲・ろう・養護学校で就学すべき子」つまり「小・中学校にいるべきではない子」というレッテルを貼られ続けていることに変わりはありません。問題は、国が障害のあることにより、「あんたはここにいちゃだめ」と言っているそのことです。教育の場での分離主義が、「障害者は特別な場で生活する人々」という意識を社会に植え付けていきます。そもそも公立小・中学校は地域に住むすべての子どもの学校であるべきで、「障害がある子は除く」という学校教育施行令(政令)やそれを規定している学校教育法等は、障害者の排除を謳っているという意味では欠格条項として批判されるべきものです。


4 国の動きに抗し、横断的な運動を

わたしたちは昨年の障害者政策研究全国集会のあと、声をかけあって「(仮称)教育の欠格条項を考える会」としての集まりを持ちました。学校教育の問題を教育の問題としてだけではなく、障害者に対する差別の問題として声を上げていこうということなのですが、その後の話し合いで、「教育の欠格条項をなくす会」としてとりくんでいくことになりました。この問題でばらばらになっている障害者団体や親の会、学校関係者などの共通の論議の土俵をつくり、論点を整理し、国に対して大きな声にしていきたのです。

いま、文部科学省は特別支援教育として「個別の支援計画」や「特別支援教育コーディネーター」などの新施策や、「特別支援学校」や「特別支援教室」などの新たな構想を打ち出しています。そしてそれらの構想の具体化として、中央教育審議会に諮問し、学校教育法など法改正へ向けた一歩を踏み出しました。しかし、《原則分離》の問題を曖昧にしたままでは、更なる混乱や差別を助長することは容易に想像できます。この先、法改正へ向けた論議が進む前に、現状の差別の問題をしっかり指摘しておく必要があるのではないでしょうか。



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教育の欠格条項をなくす会準備会(木村)
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2004.8.19



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